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おもには読書感想記

人生の解像度と幸せ

のっけからわけのわからないタイトルをつけてしまった。何を書けばいいのか、まるっきりわからない。だからとにかく頭に浮かんだ言葉をタイトルにしてみた。

 

「と幸せ」については完全に後付けであるが、このテーマに関係しそうだなと思ったので付け加えてみた。

 

僕はいま幸せである。昨日も幸せだったし、一昨日も幸せだった。明日も幸せになることは疑うまでもない。なにも自慢したいわけじゃない、友達に恵まれてて、恋人もいて(いない)、順風満帆だから幸せなんだといいたい訳ではまったくない。

 

むしろ幸せはそういう外的要因とは一切関係がないように思う。僕の場合における幸せの源泉に解像度が関わっているのではと思い筆を取った次第だ。より詳しく言えば、人生の解像度が毎日少しずつ上がっていき、世界の見え方がよりクリアになっていく。これこそ僕が幸せだと言い切る理由だと思う。

 

ではそもそも解像度とは何であろうか。言葉の定義を確認するために辞書を引いてみようと思う。weblio辞書(手元に辞書が無いのはご愛嬌)によると

1)コンピュータ・モニタの総画素数

2)画像入出力装置の性能指標

とある。何のことかさっぱりだ。そこで僕はその謎を調べるべくアマゾンの奥地(wikipedia)へと向かった。

 

wikipediaによると

本来の解像度とは観測対象がどこまで詳しく測定(描写)されているか、別の言い方をすれば、異なる対象がどこまで分離されているかを意味する。

 

やっぱりよくわからないけれど、どれだけハッキリ(詳しく)と対象を捉えて(測定して)いるかということだと思う。

 

つまり僕は毎日世界という対象を見る目が肥えていくことで幸せを感じているのだ。恋愛というもの1つとってみても、相手がこういう言葉を発するのはこう思っている時なんだとわかる瞬間に幸せを感じる。

 

それは経験からわかることもあれば、あらかじめ言語化されたものに触れ、折に触れてその言葉を体験する時にわかることもある。そんな時に、アニメでよくある演出のように頭の中で電球が灯る。すごく快感だ。

 

解像度が上がれば、相対的な自分の人生も快適なものになるし、絶対的な幸せも得られる。これ以上ないことだ。しかし落とし穴もある。

 

それは上に書いてあることからもわかる通り、解像度をあげるためには経験が必須になるということだ。そして経験には自ずから失敗がつきものだ。失敗をするからこそ、成功が際立ち、それによって解像度が上がる。

 

僕の人生はこれの繰り返しだ。実にいい。毎日が幸せなんだから。でもそれはあらかじめ負った負債を返済することで感じるものである。前借りしてキチンと返済するタイプの人間ともらうだけもらって返さないタイプの人間がいる。

 

私は不幸だと吹聴する人間は須らく後者だと思う。人はもらうだけでは生きていけない。仮に生きていけたとしても幸せにはなれない。幸せになりたかったら負債を返すこと、あるいは借りをつくることに限る。

 

ダラダラと書いたせいで迷子の文章になってしまった。まあつまり何が言いたいかというと、ある時、日常の疑問が解けた瞬間、言い換えれば解像度が上がった瞬間は本当に幸せだし。僕は毎日幸せだってことだ。

 

周りの人間と親には感謝してもしきれない。眠い。寝れる場所があることすらも幸せなんだから。幸せに自覚的であれ。